めもめも

 

【2021.5.26追記】

活動再開やっぴ~~~~。こころの練習を兼ねて、公開して5分くらいで非公開にしたブログを公開するところからチャレンジしてみることにしました。

以下の文章は、2021.4.3に作成したものです。休止の発表をうけて割とすぐ書いたものなので支離滅裂だし感情100%なのですがご容赦くださいますようお願い申し上げます。

【追記終わり】

 

 

 

 

 

おつかれさまです、圭です。はてなぶろぐのこと割と忘れていましたえへ。

そうそう使う機会ないとは思っていましたが、まさかの推し活動休止でこれは今使わずにいつ使うでおじゃ?とピンときてしまい記事を書いている次第です。きっといつも以上にまとまりのない、どうしようもない文章になっていることでしょう。これはいつかの未来の私が読み返す用に書いているといっても過言じゃないので、それはそれで良しということで!

 

早速ですが、応援しているcosmic!!が活動を休止することが発表されました。ね~~~!!!アクキー手に入れられなくて自作して届いた当日だよ!!!浮かれポンチッチして写真撮ったりしてたよ!!!愚かな道化師-ピエロ-じゃん……。

友達からめっちゃ連絡きました。サンキューフレンズ。生きているよ。

ダメージかどうか、と言われれば多分これはダメージだというのだと思います。理性的には。感覚的にいえば、感情的にいえば、実は割とけろりとしています。悲しくない訳じゃない。木曜朝のアヴェマリアも、日曜日(さいきんは月曜日)に与えられるストレスも、ヨギボーにもたれる姿も、ラインライブできらきらする瞳も、木曜日夜のにぎやかな声も、ゲーム配信してくれる姿も、知育菓子を作る指先も、ハスキーな歌声も、ねこねこに親ばかになりつつストレッチして伸びる手足も、そのすべてが、日常に組み込まれていたからです。やっぱりルーティンが失われると動揺します、環境が変わることはストレスだからです。

でも、何より、私はcosmic!!が大好きです。それは活動休止に左右される事象ではありません。だからcosmic!!がグループとして活動を再開したときは両手をあげて喜ぶし、そうでないなら、受け入れるよりほかないのでしょう。それが選択なら。

ただ個人的に、感情的に、当然現実逃避はしたいわけです。端的にいえば、帰ってくるのを待っていたい。クソ重感情女なので、「待つ」ことが生きる理由にもなるし、どうせなら待ってて復活を迎えたほうがかっけーじゃん!という小学生メンタルです。そう、推しにおかえりなさいを言う日に、カッケエ自分でありてぇ。強くなりてぇ、この拳(ゴリラ)感情が鈍麻なので、それまでなんですけど。美辞麗句並べているというよりは考えるちからが足りないと思ってもらったほうが近いです。

 

生きていることが恥ずかしい命だと常々思っているのですが、それを忘れさせてくれたcosmic!!は、私にとって確かに魔法使いです。この魔法は、ウィンガーディアムレビオーサーとか、レビオサーとかそういうものじゃないんです。いたいのいたいのとんでいけ、ってしてくれる、そんなささいなまほうなんです。

2周年を迎えた定期公演で、ステージの上で泣いているメンバーの涙も、200人達成して泣いていた姿だって、見たことないほどに綺麗な景色だった。それだけで十分。それだけで十分生きていけるんです。ここだけ見ると泣き顔に興奮してると思われそうですが大丈夫ですか?チガウンダァ。

4年間、駆け抜けてくれた。知らないところでたくさんのことがあって、たくさんの環境の変化があって、たくさんの苦難があって、たくさん、たくさんあったのだと思います。それを見せないようにするのがきっとプロなんでしょうけどでも推したちも生きているし……(全肯定bot)ここまで、気付かれないように隠そうとしてくれた。それがどれほど辛かったか、想像できませんもの。マジでゆっくり休んでほしい。美味しいもの食べてほしい。この間3メートルくらい小走りしただけで死にそうになったのに、4年間駆け抜けてたらしんじゃうとおもう。

センキューコズミック……きれいすぎる景色をたくさん見ることができました。ライブとか特典会とか思い出すだけで生きていけるなら、それも1つの魔法だと思うし、0時すぎても解けない魔法があってもいいと思うんですよね。

最強の味方にはなれなくても、どんな選択をしようと、いつだってその選択の味方でいたいなとは思っている。もらってばっかりで何も返せない立場だけど。っていうか推しには健やかでいてほしいし美味しいものいっぱい食べてほしいし美味しいものいっぱい食べてほしすぎる。米を………送るか……?(錯乱)

 

ひとのこころがない、と言われればそれまでですけど、この休止含めていずれ「物語」になるならっていう気持ちもあります。ひとりひとりの物語と、全体としての物語があるなら、それはたいせつにされてほしい。

そしていつか未来の私が、いつかの誰かが、こんなことあったね!ってバカ笑いできる春が訪れると信じています。もちろんこの信じるは、叶わないことを受け入れるという意味を含めて。

つらつら書いておいてなんだけどマジで推しめちゃすこだ……しか感情がないんだと思う。IQがちょっとアレでアレです。ひとのこころがない。